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母の日の起源とは?カーネーションを贈る意味や由来についても詳しく紹介

5月の第2日曜日は「母の日」です。

日本でもおなじみのイベントである母の日ですが、実はアメリカの母の日がベースとなっているのはご存知でしょうか?

母の日がいつからあるのか、なぜカーネーションを贈る習慣が広まったのか、気になるところですよね。

そこで今回は、母の日の起源や、カーネーションを贈るようになった由来について詳しく紹介したいと思います。


母の日の起源とは?

母の日の起源は、ヨーロッパ大陸での母教会(洗礼を受けた教会)に感謝する行事とされています。

現在のように母親に感謝する日として定着したのは、今から400年以上も前の1600年頃です。
そんな昔から母の日は存在していたんですね。

アメリカでの母の日の起源とは?

アメリカの母の日を創ったのは、アンナ・ジャービスという女性です。

アンナさんは日曜学校の教師でもあった母のアン・ジャービスさんをとても尊敬していました。

しかし、心臓を悪くしていたアンさんは1905年5月9日に亡くなってしまいます。

母のアンさんが亡くなった翌年、娘のアンナさんは「母に感謝する日」を作って国中で祝いたいと友人たちに提案します。

更に翌年の1907年5月12日、母アンさんが教師を務めていたアンドリュー・メソジスト教会で追悼会を開き、祭壇に白いカーネーションを飾りました。

そこでアンナさんは、出席した人たちにも1輪ずつ白いカーネーションを手渡して配ったそうです。

その行動が人々に感動をあたえ、1908年5月10日には500人近い生徒と母親たちがアンドリュー・メソジスト教会へと集まり、最初の「母の日」が祝われました。

これがアメリカでの最初の母の日と言われています。


母の日にカーネーションを贈るのはどうして?

アンドリュー・メソジスト教会で最初の母の日が行われたとき、実はアンナさんは教会にいませんでした。

同日にフィラデルフィアで行われた別の「母の日」を開催していたからです。

教会での母の日に出席することができなかったアンナさんは、教会に集まったすべての人たちに贈るため、白いカーネーションを1箱寄付しました。

およそ500本もの白いカーネーションを贈ったというはなしはすぐに広まり、カーネーションは母の日の象徴として人々に根付いていきました。

母の日にカーネーションを贈る習慣はここから始まったんですね。

白以外のカーネーションも使うようになったのはなぜ?

母の日がアメリカの祝日として正式に認められたのは、最初の母の日から7年後の1914年5月8日でした。

当時の大統領であるウッドロウ・ウィルソン氏が、5月の第2日曜日を「母の日」と制定しました。

当初は白いカーネーションを身に着けるとされていたり、贈り物の花も白いカーネーションが使われていました。

しかし当然ながら、みんなが白いカーネーションばかり使うので不足する事態が起こってしまったのです。

そこで考えたのが他の色のカーネーションも使うようにすることでした。

母親が亡くなっている場合は白いカーネーションを、健在な場合は色の付いたカーネーションとしたのです。

色を固定しなかったのは特定の色のカーネーションが不足しないようにという配慮からと、たくさんの花が流通するようにという考えもあったようです。


日本で母の日ができたのはいつ?

母の日が現在の5月の第2日曜日になったのは、昭和49年頃からで意外と歴史は古くないです。

もともとは昭和天皇の皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日が「母の日」とされていました。

しかしあまり普及されなかったため、1949年頃からはアメリカの母の日と同じく、5月の第2日曜日を母の日として祝うようになります。

日本で最初に母の日をしたのは?

1913年に青山学院で「母の日礼拝」がおこなわれたのが日本で最初の「母の日」です。

青山学院がまだ海岸女学校であった頃、校長のメアリー・J・ホルブルックさんは、アメリカの「母の日」に感銘を受け、日本でも広めたいと考えていました。

メアリーさんの遺志を受け継ぎ、日本で最初の母の日を実現させたのが、マイラ・E・ドレーパーさんという宣教師です。

その後、院長のファニー・G・ウィルソンさんが日本各界の著名人に働きかけ、1932年に公式行事として初の「母の日」をおこないました。

母の日を日本に定着させたのはあのお菓子メーカー

これまでキリスト教関係者を中心に行われていた「母の日」を、一気に全国規模へと展開させたのはお菓子メーカーの森永製菓でした。

1936年に、森永製菓は各団体に協力を呼びかけ「母の日中央委員会」を設立します。

翌年の1937年5月8日には「第1回 森永母の日大会」が豊島園で開催され、約20万人ものお母さんたちが無料で招待され盛大に「母の日」を祝ったそうです。

その様子を新聞や雑誌に大きく取り上げられたことがきっかけで、母の日は日本全国へと知られるようになりました。


母の日に赤いカーネーションが定番な理由とは?

母の日と聞くと、真っ先に赤いカーネーションを思い浮かべませんか?

お店のディスプレイやグリーティングカードなども母の日には赤いカーネーションが使われていますよね。

実はこれ、カーネーションが赤のみに統一されていたときの名残なんです。

赤一色に統一される前は、日本でも母親が健在な場合は赤いカーネーションを、亡くなっている場合には白いカーネーションが一般的でした。

しかし母親を亡くしている子供たちが傷つかないようにという配慮から、1960年に赤一色になったそうです。

現在では赤以外のカーネーションも母の日に贈られていますが、やっぱり母の日といえば赤いカーネーションという印象が強いのはその影響なんですね。

また、赤いカーネーションには「母への愛」という花言葉があります。
まさに母の日にぴったりな花言葉ですよね。

迷ったら赤いカーネーションを選んでおけば間違いないという安心感が定番として続いているのかもしれません。

母の日のまとめ

「母」への感謝から生まれた母の日。
「mother」は母という意味だけでなく「生を与える」という意味もあります。

母の日というと自分のお母さんに感謝するイメージがありますが、すべての女性たちが対象でもあるんですね。

母の日はぜひ周りの人たちへ日頃の感謝の気持ちを伝えてみてください。
きっと喜ばれますよ。